Design is friends

DESIGN WORKSデザイン事務所のデザイナーとして各種デザインの作成業務に従事。広告代理店デザイナー、大手ホームセンターインハウスデザイナー、Web制作会社、人材育成会社の経験を経て独立。グラフィックデザインを中心に画像合成・レタッチやパッケージデザイン制作にも携わる。

Q:ついてるなと思った時はどんな経験からですか?

大学生活は、石川県金沢市の金沢学院大学(当時:美術文化学部情報デザイン学科)でデザイン全般を学んでいました。大学3年時、当時電通様に勤務されていた方から、デザイン系に就職するなら「東京に行け」とアドバイスを貰い、毎週夜間高速バスで7時間かけ就職活動をしていました。私が大変お世話になる広告代理店様も、書類審査から面接・実技試験等、5次面接までありその度、東京まで行きました。最終面接まで辿り着き、正直半分合格した気持ちでしたが、最終面接で不合格。かなり傷心し、中々次の就職活動に移ることができませんでした。そんな中、私の運命を変える1本の電話がかかってきます。辞退者が出たという「繰り上げ当選」の電話です!複雑な気持ちもありましたが、もともと入社したかった会社様だったので二つ返事で入社させていただきました。これが私のデザイナー人生の始まりでした。

Q:繰り上げ当選の入社後はいかがでしたか?

同期入社は有名大学卒業者しかいませんでした。 グラフィックデザイナー職は、武蔵野美術大学・多摩美術大学・東京工芸大学。 営業職では、早稲田大学・慶應義塾大学・法政大学・明治大学・青山学院大学。 私だけ、誰も聞いた事のないような大学でした。(最近はスポーツで有名です。)大学時代はイラストレーターフォトショップの授業はありましたが、思うように操作ができず、毎日友人とウイニングイレブンをやる事が一番の楽しみでした(笑)そんな大学生活だったので、美大生のように絵の勉強やデザインの勉強を専門にしてきた訳ではないので、入社当時はデザインセンスに関してコンプレックスしかありませんでした。とにかく必死×2でした(本当に!!)

Q:そのコンプレックスは解消されましたか?

今でもそのコンプレックスはあります。常にこれが最善なのか考えています。当時は、仕事に置いて最初はみんな初めてだから「差」はないけど、デザインセンスやアイデア等のポテンシャルが全然違っていました。面白いアイデアは考えるし、そもそもみんな楽しそうに考え働いていました。僕は新しいアイデアを考えるのが苦痛でしかありません。しかも自分のアイデアを上司に見せたり発表するのも嫌いだった。デザインセンスにコンプレックスがあったから、恥ずかしくて見せたくない。自信がないから。日々目の前の事を120%で制作する毎日でした。

Q:その経験からどのように好きになったのですか?

そんな中で働いていましたが、好きになった仕事に出会いました。それが「画像合成」です。色んな写真を合成して、新しい世界観を生み出すのが楽しくて、のめり込みました。コツコツやるのが性に合っていたみたいです。映画関係のプロモーションを制作するチームに配属だった為、コンセプトに合わせたビジュアルを画像合成で表現する事が多かったです。デザインセンスやアイデアが勝てなくても、画像合成なら勝てる!センスではなくて「技術」で勝負しよう!って考えました。そのお陰で、仕事としても評価もされたし、嫌いだったアイデア出しやセンス的な思考も身に付いてきました。自分の居場所を見つけた瞬間でした。それは突き詰めてやってきたからこそ、毎日多くの量を制作し、考えてきたからこそ身に付いたスキルでした。今でもコンプレックスはありますが、そのお陰で好きにもなれました♪

Q:その後、どうして新潟に戻ったのか?

様々なお仕事を通し、デザインの難しさ・楽しさ等を経験して行きました。入社3年目で大学時代からお付き合いしていた女性と結婚。その頃、健康診断で通院し、腹痛や血便から「クローン病」という診断をいただきました。その後、何事もなく生活し、5年目には子供も授かることができました。このタイミングで今までのストレスや生活習慣の悪さが祟りクローン病から来る「腸閉塞」になり、激しい腹痛に襲われます。小腸の一部を切除する手術を行い約2ヶ月間入院しました。余談ですが、入院生活の不便さから頭を生まれて初めて「坊主」にしました(笑)当時、入院する3ヶ月前には「東日本大震災」もあり、今後のライフプランも視野に入れていた矢先でした。入院時に色んな事を考え、イメージし、転職(5年目辺りから転職する場合が多い業界)も考えていたこともあり、リハビリも兼ねて実家のある新潟県に戻りました。

Q:新潟に戻りどう感じましたか?

子育て、自然、安全と言った生活面では、とても生活しやすく感じます。日々自分のペースで選択しながら、リバビリという事もあり、少しの間ですが1歳になる長男と仕事の事を忘れ、日々の成長を直近で見ることができました。病気やこの経験もあり、将来は家庭・子供との時間を持ちたいと思うようになりました。

仕事面では「ネットで繋がる世の中、東京に拘る必要はない」と考えていました。ですが、地方に来て感じた事があります。特にデザイナー職の場合、アイデアを日々アウトプットをし続ける為、どこかで必ずインプットしないといけない。いずれ枯渇し疲れ切って業界を去ってしまうことがよくあります。(私は病気になりましたw)新しいモノと古いモノが共存し合う東京には、それに携わった人々の創意と工夫が詰まっています。そこから受ける影響はとても大きかったんだと感じるようになりました。

Q:新潟でのお仕事を教えてください その1

大手ホームセンターのインハウスデザイナーとして、店頭販促物一式(POP、ポスター、DM、値札等)や折込チラシ、オリジナルブランド商品のパッケージデザインの他、管理業務も担当させていただきました。品質も重要ですが、何より価格・早さが求められ、制作も含めた進行及びディレクション、営業としての考え方を経験させていただきました。そして、制作だけではなく一般企業と同じく、報告書や社内会議、社長報告、決算報告、管理業務等社会人6年目にして初めて経験させていただきました。エクセルの凄さも実感しました(笑)

Q:新潟でのお仕事を教えてください その2

その後、Web会社へ転職しWeb業界へ踏み込みました。Webの重要性を肌で感じていた為、未経験ながらも今までの実績を評価していただき、高待遇で入社させていただきました。私自身、慢心があり「Webもできるでしょ」という軽い気持ちで入りましたが、時間が経過するにつれ自分の慢心に気づきました。コーディングが全然覚えられない、実際は覚える気がなかったんだと思います。誰かが教えてくれるからという年配者の知恵があったんだと。自分のできる分野だけやればいいんだと。この時、色々と気付かされることがありました。そして、約4ヶ月で社長に退社の胸をお話しし退職させていただきました。本当に申し訳ございませんでした。

Q:新潟でのお仕事を教えてください その3

Web会社退職後、Webの勉強をする為、職業訓練校に行き基礎を勉強。様々な人生を送ってきた仲間と出会い、良い刺激をたくさん頂きました。今でも交流のある仲間です。その後、人材育成会社で講師アシスタントとして勤務しセミナー等を経験。そして、フリーランスとして独立します。

Q:最後に大切にしていることは?

家族との時間を大切にしたい、私の経験をもっと多くの方に届けたい、必要としてくださる方と一緒に仕事がしたい。その想いで日々、お客様とお仕事をさせて頂いております。私はフリーランスとして、パートナーとして、直接お会いすることを大切にし、お取り引きが決まればお伺いし、お話させていただければと考えております。大手には出来ないきめ細やかな対応と、プロフェッショナルとして頼れるクリエイターをお探しなら、きっとご希望に沿えると思います。困ったら相談できる良きパートナーとして、お客様と共に成長していきたいと考えております。

​ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます。